2007年12月28日 (金)

長州藩大砲鋳造所

こんにちは。いつの間にやら年の瀬。
また風邪をひいてくたばっておりました。
風邪ひいて4日目。いまだにヨレヨレです。しかし、こんな時期に寝ているのもしんどいのでウロウロしてます。くそぅ・・・この軟弱者め・・・。

さて、少し前にお散歩中に見つけた史跡です。

Taihou_2
東京の下町の一角なのですが、ここで作った大砲が、下関での異国船砲撃に使われたそうです。
へぇ。

ドカーンと風邪菌の一つでも吹き飛ばしていただけないものでしょうかね。
ドカーン・・・と。

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2007年11月 3日 (土)

有楽町にありました

JR有楽町駅、交通会館側の改札を出てすぐのところ。
「南町奉行所跡」があるのでした。

以前から、有楽町の案内図に載っていたので気になってはいたのです。
碑があるだけだろうけど、一度見ておきたいなぁ、と。

しかし、ちょうど丸井だかなんだかの建設予定地あたりだったので、工事で取り壊されてたら悲しい・・・
と思っていたら、ありましたよ。

Minamimachi

この規模ですのでね、見落としましてね、周辺を何度もキョロキョロしながらウロウロしましたよ。不審者。
(携帯のカメラなので詳細がわかりませんが・・・)

有楽町に行ったときに、何かの拍子でふと思い出しましたら、探してみてください。そして、うろうろキョロキョロして不審者と思われればいい。

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2007年10月16日 (火)

るるらら会津2007 (2)

二日目は、会津若松の駅からJR只見線-会津鉄道に乗り、自然豊かな景勝地「塔のへつり」へ行きました。

Heturi1

吊り橋があるのですが、人が渡ると揺れるんですね。
おまけに手すりも膝くらいの高さなので、結構なスリルが・・・。

Heturi2

こういう渓谷が大好きです。
山にある川に心惹かれるのです。何時間でもボーっとしたい。

塔のへつり駅から来た道を戻り、七日町へ。
駅のすぐそばにある阿弥陀寺で、新撰組三番隊隊長斉藤一(藤田五郎)さんの墓所に立ち寄り、その後市内周遊バス「ハイカラさん」に乗って鶴ヶ城へ。
鶴ヶ城も3回目なので、今回は城内を見る気はなかったのです。
ところが、ちょうどこの時期「会津の刀匠」という展示をやっているということでドキドキワクワク城内へ。

あぁ、なんてこった・・・。
こんなに自分の幸運を嬉しく思ったことはありません。
ズラリと並ぶ刀身たちの中に、なんとなんと、「初代兼定」が展示されていました。
しょっ・・・・初代兼定!!
刀のことに詳しいわけではないのですが、どうも兼定という名前に過剰反応してしまうのです。

日本刀はまさに芸術品ですね。美しい。
しなやかな刀身を見ているだけでため息が出ます。はふぅ・・・。

二日間とも素晴らしい天気。弓を思う存分楽しみ、おまけに刀の展示期間にも重なり・・・。
あぁ、自分の日頃の行いの良さが怖い!!(←調子乗ってすみません)

帰りの電車では、来年の会津計画。
「来年は、日新館と、あとどこへ行く?」

<戦利品>
やっと手に入れた!!去年探したけど売っていなかった会津の旗。
Hata

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2007年10月15日 (月)

るるらら会津2007 (1)

今年も元気に会津です。3回目の会津。
何かの大会風にいうと、3年連続3回目の会津。

今年のルートは・・・
 1日目)会津藩校日新館→飯盛山→武家屋敷→東山温泉
 2日目)塔のへつり→阿弥陀寺→鶴ヶ城

今年の目的は・・・
 1)弓道場に入り浸る
 2)自然に癒される

Ike
Rei

日新館です。ここで本格的な弓道体験ができます。
旅の目的の9割はここ。このために来たと言っても過言ではありません。

教えてくれる係の方が、これまたすごい弓の使い手なのです。
入り浸っているうちに仲良くなり、最後に演武を見せていただいたのですが、ただただ感嘆!
御年77歳になる男性なのですが、衰えの見えぬシャンと伸びた背筋、きれいに筋肉のついた四肢。
鍛錬を重ねた体躯、技量をもって放たれる弓の鋭さ・・・。
すばらしいものを見せていただきました。眼福の至りです。

で、私はというと、やはりヘッポコなもので、弓を放った後に弦が腕を擦り、名誉(?)の負傷です。ひどい内出血。

Kunsyou_2

すごく丁寧に教えてくださったおかげで、昨年は的のある土壁まで届きもしなかった矢ですが、今年は届きました。
的も射抜くことができました。矢が的に当たる瞬間のタンッという音が・・・この気持ち良さったらもう・・・!!
来年もがんばるぞ!

その後、飯盛山で白虎隊の墓所~自刃の場~さざえ堂~撤退の洞穴と見て回り、次に武家屋敷です。
ここでも弓ができます。弓道というより、射的とかに近い遊びの弓ですね。

Yumi_buke

夜は東山温泉の宿でまったり。あぁ、極楽じゃ。

~二日目に続く~

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2007年9月 3日 (月)

深川江戸資料館

Edo1 ずーっと、行こう行こうと思っていた深川江戸資料館。
このたびやっと、行ってきました。
中はそんなに広くなくて、ゆっくり回っても1時間~2時間くらいですかね。

江戸時代の長屋の実物大の模型がすごいんですよ。
長屋の町並みを散策できるのです。
朝の情景では棒手振りが品物を売り歩く声が流れたり、オレンジ色の照明で夕方の風景を演出していたり。
なんだかとっても懐かしい気持ちになるのです(住んでたことないのに)。

Edo2
Edo3
Edo4

興味のある方はぜひ(^^  「深川江戸資料館

深川は自転車で行ける距離。
そのほかにも、地元には江戸時代の史跡が数多く残っているのです。
あぁ、江戸下町に生まれてよかったなぁ・・・と、こういうときに思うのです。

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2007年5月25日 (金)

下田一人旅♪(その2)

海辺を満喫した後は、大好き史跡探索です。

下田駅の近くまで戻り、まずは「了仙寺」。
ペリー一行の応接所であり、和親条約付録下田条約が締結された場所です。
Ryousenji
宝物殿では、鎖国時代~開国その後までの歴史を展示物をみながら勉強できます。

了仙寺から少し歩くと「ペリーロード」なる町並みがあります。
Periroad
昔の風情が残ります。
修学旅行生がいっぱいいましてね、この場所で「はい、ペリーロード!」と言って写真を撮っていました。
それじゃみんな「お」の口になっちゃいます。いいのかな。

その後、開国博物館に行ってきました。
吉田松陰とか、ペリーとかハリスとかヒュースケンとか・・・。
なんかもうおなかいっぱい・・・

開国博物館の近くに「吉田松陰拘禁の跡」というのがあります。
Syoin
吉田松陰は、鎖国中の下田で海外渡航を企てましたが失敗に終わり、自首して獄につながれました。
下田の平滑の獄、さらに東京の伝馬町の獄を経て、松陰の故郷である長州に幽囚されます。その後、生家預かりの身となると、松下村塾で講義を行うようになるのですが・・・・以下省略(こういうネタに熱くなると、ねぇさんあたりにヲタと言われてしまうのです)

下田の駅から1駅行ったところに、海外渡航を企てた場所とか、一時住んでいた場所とかの史跡もあるのですが、時間の都合上今回は見合わせ。

さて、そんなわけで下田一人旅でした。
ほんとはですね、一人でボーっとする時間を多くとる予定で、スケッチブックとか持っていったのですが、史跡やら海やら山やらではしゃぎまわってしまってそんな時間ありませんでした。
ちょっとお楽しみ要素が多すぎたなぁ・・・。

次に行きたいのは、山口と高知と鹿児島・・・うへへへ・・史跡巡り最高。

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2007年5月24日 (木)

下田一人旅♪(その1)

下田。「温泉」+「史跡」のゴールデンコンビです。
さらに、お魚がおいしいという要素と、海がきれいという要素が追加。文句なし。

まずは、下田駅からすぐ、寝姿山ロープウェイを上った先にある黒船見張り台です。
黒船がき~た~ぞ~!!
Miharidai
来たら大砲でドーンとやるわけですか。・・・と思ったら、どうやらこの大砲はその頃の米国船に積んであったのを後にここに置いただけみたいですね。
いきなり攻撃はいかんです、やはり。

黒船を見張った後は、下田の海を散歩です。
下田は海がきれいですね。透明度が高いし、岩場には生物がいっぱい!
海はいいなぁ・・・。う~みよ~ おれのう~みよ~♪
Umi

Umibe
とにかくヤドカリがすごい数いるんですよ。
海草にブドウのようにくっついているのです。あそこまでいるとさすがに気持ち悪い。
カメは近くの水族館におりました。

その後は下田城山公園へ。
緑がいっぱいで静かで、虫もいっぱいで・・・ケムシを何匹か腕に乗せて歩いてました。
ケムシは大丈夫。(なにが?)
Simodapark
開国記念碑がありました。
ペリーさんとハリスさん。

私は旅に出ると、とにかく足を使って散策するのがスキです。
何時間でも、どんな悪路でも、ザクザク進むのです。
あちこちに心向くまま寄り道もして、迷子覚悟で横道にも進みます。
無計画こそ旅の醍醐味。(←場合にもよる。いつも無計画は×)

  ~その2へ続く~

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2006年11月30日 (木)

函館に行きました ~2日目~

<旧函館区公会堂>
Photo_17
洋式の建物の中では、貸衣装(ドレスとか)を着て、館内を歩き回れるんですよ。
私は衣装を借りませんでしたが、衣装を着た姫(友人Mちゃん)を追いかけ回し、ニタニタしながら写真を撮りまくるエロ執事役を熱演。

<護国神社>
Photo_18
新政府軍の墓地があります。
縁結びの神社らしいです。護国で縁結び?どんな縁が結ばれるの。

<五稜郭>
Photo_19
今はとってもステキな公園です。
戊辰戦争を知ることができる博物館もあります。

140年くらい前にここの官舎とかでさ、旧幕府軍が箱館の地で打ち立てた新政権の下、新政府軍に対抗する術やら、あるいは降伏の是非なんかを議論したわけでしょ。
誰かが「降伏を申し入れよう」とか、「篭城して勝てる戦ではない。活路は打って出ることのみ」とか言ってたわけでしょ。
その地に立って、そういうこと考えるとたまらない気持ちになるわけなんですよ・・・。
こんなことばかり言ってるからキモイとか言われるんだ私は。

土方歳三の像(五稜郭タワー内)
Photo_20

大砲どーん
Photo_21

そんなわけで、函館の旅レポでした。
あ。せっかく北海道なのに、食とかにまったく触れてませんね。
海鮮楽しみました。地ビール楽しみました。ラーメン楽しみました。以上。

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2006年11月28日 (火)

函館に行きました ~1日目~

函館に行きたかったのです。
ものすごく行きたかったのです。

函館空港からバスで少し行ったところに、トラピスチヌ修道院があります。
有名なトラピスト修道院(トラピストバターとかの)とは、兄妹みたいなところだったと思います。
Photo_14

そこからバスで一時間ぐらい、遠回り気味に函館駅へと向かいました。
函館駅から徒歩で10分くらいのところに、「土方歳三最期の地」の碑があります。
Photo_15

土方歳三?最期の地って?
という方に、碑の近くに立っていた立て札の記述を以下にご紹介。

『新撰組副長として京都の街に勇名をはせた土方歳三は鳥羽伏見の戦いの後新撰組を率いて各地を転戦して北上し、仙台で旧幕府海軍副総裁榎本武揚が指揮する脱走艦隊と合流した。
明治元年(1868年)十月、蝦夷地(北海道)に上陸した榎本軍は、箱館を占領して新政権を樹立、土方歳三はその陸軍奉行並の要職についた。
翌二年四月、新政府軍の総攻撃に榎本軍は各地で敗退したが、土方が守った二股口(現大野町)だけは最後まで落ちなかった。
しかし、同年五月十一日、ついに箱館も新政府軍の手に落ちた。土方は箱館奪回を目指し、五十名の兵を率いて一本木(現・若松町)の関門を出て箱館の市中に向かい、敢然と切り込んでいったが銃弾に当たって倒れ波乱に満ちた生涯を閉じた。時に三十五歳であった。』

長いですね。すみません。
土方歳三最期の地には、諸説あるようで、この碑があるところじゃないかもしれないのですが。
訪れた人が一言残すノートとかがあって、土方さんの人気の高さを改めて実感しました。

夜は函館山からの夜景。
いや、なかなかに見事なものでした。
Photo_16
写真はひどいものですがね・・・。

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2006年11月 7日 (火)

史跡の旅 ~上野~

これまたちょいと前の話。

お散歩会を兼ねて、上野の町を散策してきました。
上野公園には何度も来たことがあるのに・・・・
史跡がこんなにたくさんあるとは思ってませんでした。

目的はこんな感じ
 ・上野寛永寺
 ・彰義隊の墓
 ・上野東照宮
 ・天海僧正の遺髪塔

上野寛永寺は、徳川将軍家の墓所があるということなのですが、関係者以外立ち入り禁止の札が行く手を阻みます。
くそぅ・・・遠巻きに見るしかできぬのか・・・・・。
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上野戦争で新政府軍と戦った「彰義隊」の墓所も上野にあります。
Photo_13

せっかくなので、上野東照宮にも行ってきました。
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「人生は重き荷を負うて遠き路を行くがごとし 急ぐべからず」
家康公らしいなぁ・・・・

天海僧正の遺髪塔にも行ったのですがね、敷地内に誰か住んでたので撮るのはやめました。
天海さんが“同居していいよ”って言ったかどうかは知りませんが、史跡に住み着くのはやめて欲しいなぁ・・・(--;

今度は有楽町の「南町奉行所跡」に行こうと思います。
たぶん碑があるだけだろうけど。
最近になって、ご近所に史跡の多いことに気づきました。
深川とか上野浅草とか有楽町とか、下町バンザイ!

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